5月1日実況見分

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実況見分録2004年

実況見分経路

1=被害者宅・地蔵跡地・墓所       
2=権現橋・養豚場跡地・地蔵置場     
3=佐野屋                
4=薬研坂                
5=現地事務所・屍体発見場所・芋穴・荒神様
6=山学校経由第2ガード・第1ガード   
7=入間川分校(現準看護学校)      
 天候:快晴、多少風有り
 狭山事件発生から41年を経た平成16年5月1日、狭山事件スレッド常連の新井泉氏及び1−531氏と共に現地実況見分を実施。13時に待合せの後行動拠点の新井氏自宅に車出移動、新井氏より自転車(マゥンテンバイク)の貸与を受け13時半に出立す。行軍予定距離は往復25Km天候は快晴にして初夏の風情漂う。既に現地斥候済みの新井氏に嚮導により、見分経路は上図の通りである。

被害者宅付近

 まず被害者宅周辺の探索を行う。
 板でも話題になった地蔵を中心に。被害者自宅前にあったと言う地蔵であるが、周知の如く現在は撤去されそれがあった痕跡はほとんど残っていない。しかし、当サイト掲載の1−531氏による地蔵の写真に見える背後の青屋根の家はまさしく存在し(上空図の黄丸の処)ここが地蔵建立地点であった事が解る。
 隣家で牛を飼育しており、この辺り糞々たる香りが漂う。
被害者宅前=左の土壁が被害者宅、道を隔て両氏が立つすぐ右に地蔵があった
地蔵建立跡地(新井 泉氏撮影)=1−531氏撮影写真と要比較
 *善枝さんの墓に参る
 そろそろ次の目的地点に移動する頃合となった時、被害者家の短冊型に地割された農地の中に、墓所がある事を新井氏が発見してこれを拝見させて頂く事になった。参って見ると、正しくそこは被害者宅の墓所であり、被害者とその姉の名前が刻印された墓石があったのである。
 当初墓所に行く計画では無かった。場所が解らなかったからである。
 が、被害者宅正面畑地内にそれは、あった。
 今日が命日との思いを持って、現地を訪れた我々にとって、この出会いは運命と言うものであろうか。厳粛な心持ちを以て墓参りをさせて頂く。
 墓石に刻まれた墓碑銘を見ると『昭和三十八年五月一日行年十六歳』とある。遺族にとっては当然とも言えようが、被害者の命日は1日とされていた。
 被害者と姉の墓は並んで立っていた。あらためて、若くして人生を終えざるを得なかった善枝さんと登美恵さんのご冥福を祈りたい。
善枝さんと登美恵さんの墓
 *41年目の真実
 墓所は家を背にして巨大な供養塔が立っており、それと向合って被害者、姉等4つの墓石が立っている。その墓石の墓碑銘をつぶさに見ているうちに‥‥。
 小生は上の写真にもある、右から3番目の墓石の側に刻まれたある名前を発見した。
 『正治』様の文字を。
 
 かつて被害者一族の中に、「しょうじ様」が存在したのである。
 
 但しこの方は既に戦前に戦死された英霊である。年齢的には被害者の父の弟に当るとも推測される。が、「農村という古くからの何者かゞひそんで居たのではないのか」とも言われ、事件以前の、何かしら因縁めいた事柄について様々に考察されて来た事、そして何よりも脅迫状に書かれた最初の宛名『少時様』が何を意味するのかに就いて、多くの推測が存在して来た事を考えると、他のなにびとでもなく被害者一家の中に「しょうじ」とも読める名前の人物が存在したと言う事実に、驚愕の念を禁じ得ない。
 *今日迄、脅迫状の「少時様」が意味するものに就いて、「被害者宅とは無関係の家を狙っていた事の  偽装」「時が少ないと言う心理状況」などの説が一般的である。
 
 この「正治」様が、果して事件に関連性がある名前であるのか否か、また関連性があるとしたらそれはどの様なものであったのか、それについては爾後も緻密な調査を継続し、僅かでも事件の真実に接近出来る様、努力して行く所存である。
供養塔=遠方正面が被害者宅
被害者宅裏道、墓所遠景(5月23日撮影)
権現橋近くにある地蔵(新井 泉氏撮影)
 上の画像を『無実の獄25年 狭山事件写真集』第1刷に掲載された地蔵と見比べて頂きたい。両袖が破損しており、特に右肩(向かって左)後方の破損は激しい。また、頭部は後からすげ替えられているとも考えられ、首の部分にはその際接着した様子が伺える。脚部は破損したので取去って台座に直接接合したとも考えられる。
 そのように推測すれば、この像は初めに建立された「善枝地蔵」に酷似している。
 これは新井氏が発見した像であるが、善枝地蔵に就いて板で話題になった事でもあり今回あらためてご案内頂いた。

 *5月23日の再調査で上の地蔵は亨保四年建立の物である事が判明。同時に『25年写真集』第1刷  での地蔵写真は誤って別物を掲載していた可能性が高い。即ち初めから531氏提供の地蔵のままで  建て替えは無く、その後撤去された事になる。
  詳しくは→こちら=基礎事実の検討→善枝地蔵に就いて
地蔵が置いてある場所(左)と権現橋
権現橋から見た養豚場跡(青い屋根の車庫付近)

佐野屋付近

 佐野屋へ移動。まだ事件当時の面影を残している上赤坂地区とは違って、この辺りから先の経路はすっかり様変わりしている。上の上空図は平成元年のものだが、この図の当時と比べても大幅に変化していると言って良いだろう。佐野屋そのものもコンビニ風に建替えられたと見られるし、佐野屋から犯人出現地点の先は道路が貫通して交差点となっており、この道は新井氏によれば2月時点では工事中であったとの事。変型5差路は現在では4差路で薬研坂方向も今では大型店鋪等が増加している。
 佐野屋で飲み物を買い、暫時休憩す。
佐野屋=犯人出現地点方向を望む
犯人出現地点から佐野屋を望む
犯人逃走方向を望む
 その後薬研坂を狭山市街地方向へ進む。薬研坂と言う地名は全国各地にあるが、その由来は薬を作る時に使用する薬研と言う道具に由来するらしい。彎曲した桶状の容器の底に薬材を容れて摺り潰す道具で、良く徳川家康なぞがそれを使っている場面が出て来るあれだ。その容器の様に両側が高く真中が低い地形になっている坂と言う事である。
 
 小生はここで自転車に乗った善枝さんそっくりな女子高校生を見た。後で聞いた処によると、1−531氏もその同じ人物を見ていてピンと来たらしい。初めにお墓に参った為でもあろうか、この日は一日霊感が働くのであった。

石川宅→芋穴→埋没地点→荒神様→ガード→分校

 現地事務所(旧石川さん宅)から芋穴、屍体埋没地点へ向かう。現在は全くの住宅地。
 OG新居の見当はつかなかったが、翌日以降資料を当って推定したものが上図の円内である。この一帯は小刻みにアップダウンを繰り返す坂道となっている。
芋穴付近(推定)
屍体発見現場付近(推定)
こうして立ち止っている時につい話込むのである。小生は小便がしたくなったので
途中で見かけた入間川病院の厠へ行った。                  
荒神様=この時分既に5時近く、小腹が空いた感じを持つ。朝に自宅で食したモノ
がまだ胃に残っていると言う感じは当然ながら勿論無い。   
 荒神様では事件当日と同様、祭礼が催されていた。娯楽が多様化した現在、当時の写真に見られる祭礼の賑わいは無く閑散としていた。自供ではここに石川氏が来ていたとされる。現在と違って多くの人が来ていたにも関わらず、石川氏をここで目撃した人はいない。もっとも、この様に閑散とした中に石川氏が居たとしても、閑散さ故に目立った事であろう。勿論当時石川氏のここでの目撃者が居ないと言う事は、自白の信憑性が無いと言う事でありそれは無罪の証明のひとつである。
 
 ここからX字型交差点と山学校を経由して第2及び第1ガードに移動したが、ガード付近でも荒神様の太鼓の音が聞こえた。遮蔽物と騒音が少なかった事件当時であれば、もっと良く聞こえた事であろう。
当時入間川分校、現在狭山準看護学校
 分校跡を最後に一応見分を終了。その後高所からの撮影を試みる為適当な場所を探索して見たが良い場所が見つからなかった。これは今後の課題とする。
 
 13時半出発、17時半頃帰着。往復約4時間であった。途中、要所で事件推理に話が弾み、相当時間を消費しているのだが、それでも自転車を駆使すれば事件関係箇所をほぼ全部廻って夕刻には終了出来る事が解った。
 
 今回の実況見分の重要所見は次の3点であった。
 1=被害者家に「正治」様が存在した事
 2=被害者家は1日を善枝さんの命日としている事
 3=
権現橋にある地蔵が初代善枝地蔵である可能性が高い事
   *これ↑はそうではなかった事が判明→参照=基礎事実の検討→善枝地蔵に就いて
 
 その上で今後調査、推理するべき項目として、
 A=被害者家の正治様と事件との関連性
 B=
善枝地蔵が初代から二代目に変化した理由→*上の3同様
などがある。
 
 なお今回の実況見分を実現出来たのはひとえに新井泉氏の尽力によるものである。
 ほぼ地元に居住し、機動力をも兼備えた新井氏の存在は今後とも誠に心強いものがある。ここに感謝申し上げると共に、爾後の御愛顧を切にお願い申し上げたい。
 
 こうした事も含め、この度得られた成果は、善枝さんの霊魂が巡り合せてくれたものでないならば、小生にとって、全くの僥倖としか言い得ないものである。
 事件犠牲者の御霊の安らかならん事を。合掌
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