2007年現地見分

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事件概要
近況告知板
THE WORLD 21

5月4日

 2007年5月4日実施、参加者は筆者含め十名であった。なお今回は写真は撮りませんでした。見分ポイントが少なかったせいもあり、以前の見分時とそれほど変わらない風景が多かった事もあります。そのかわり、新井泉氏より、現地の昔の写真をお借りしたので、そちらを多少掲載する事とする。
 
 *見分行程
 入曽駅→佐野屋→権現橋→被害者宅付近

 行程は上記の通り、堀兼地区を回る。新井泉氏に車を出して頂いたが、車に乗り切れない参加者の方には入曽から佐野屋まで徒歩で来て頂くと言う事にもなった。入曽から佐野屋迄は、時間を計った処、約40分かかる事がこれによって解った。
 
 佐野屋からのコースは下図、緑の線のところ。

 このコースは佐野屋での身代金受け渡しの夜に被害者の姉Tさんが途中まで車に乗って佐野屋へ向かった道を逆に辿ったもの。初めて現地を見る方にはだいたいの距離感覚と現場の雰囲気が解るのでこの様に選定して見たものです。

 佐野屋→犯人出現地点を過ぎ、近年出来たバイパスとの交差点も過ぎ、佐野屋から約400mほど行き右折すると、被害者のお姉さんが車を降りた場所。その道をさらに行くと権現橋に到達。橋を渡って左折、不老川沿いに約500m進んだ所にある浄水場の手前を右折。

 この先に事件当時、捜査の前線基地が設けられていたM家宅がある。ここは、石川さんが養豚場に勤めていた頃、養豚場経営者の石田氏が間借りしていた家でもある。その家の向かい側あたりから東に向かって裏道が通っており、犯人がこの裏道から密かに被害者宅敷地内に侵入して、自転車と脅迫状を届けたと言う説もあるので、一応参考迄に参加の方々に見て頂いたものである。

 (既出写真であるがその裏道、これも参考迄に。↓)

 この裏道を歩いていた時と、被害者宅のお墓が見える場所に来た時に、今迄の現地見分では遭遇しなかった様な、ある種の突発事項が発生したので、見分するべく予定していた箇所はほぼ巡った事でもあるし、一応ここで今回の見分を終了する事にした。その突発事項の内容に就いては、事柄の性質上、公にする事は差し控える事とする(思わせぶりで申し訳ありませんが、その種の事柄もあるものです。但し、事件真相に関わる様な事柄では無い事だけを記しておきます)。

 追記:佐野屋付近から先の堀兼地区は現在でも街灯が少なく(或るいは全く無い場所も多く)夜になると真っ暗である。見分を解散後、夜12時頃に、新井泉氏と共に再びこの付近に行って見た。この日(5/4)の月齢は16・6から17・6、丁度満月が少し欠けたくらいの月明かりであったので、街灯が全く無い所でも可成り明るいと感じた。佐野屋の事件当時の昭和38年5月2日から3日にかけての月齢を調べると、8・3から9・3即ち半月が少し膨らんだくらいの月明かりであり、幾つかの事件関係書籍でも述べられているように、道の少し先迄は見通せる程度の明るさはあったと思われる。一度、佐野屋の事件当時と同じ月齢の日を選んで、街灯の無い場所ではどの程度の明るさとなるのか、再度検証をして見たいと思う。

1976年頃の現地写真

以下、事件から13年後・1976年頃の現地
 ▲死体発見現場付近、手前の花の咲いているあたりが死体が埋められていたところ。奥に見える雑木林が「殺害現場」とされた場所
 ▲養豚場の跡地風景。
 ▲佐野屋付近。

 ▲佐野屋からの犯人逃走方向を歩く現地調査風景。

 死体が発見されたあたりは兎も角、佐野屋から先の堀兼地区の風景は、建物や道路が新しく出来ていたりはするものの、これらの写真が撮影された当時から見ても、やはり、雰囲気に余り変わりが無いと言う事が良く解ります。

5月26日

 この日は昨年に引き続き、「狭山事件を考える徳島の会」の皆様の現地調査に同行させて頂きました。今回は多少遠慮がちな小生でしたが(否否、行ったのだから充分図々しいと言えましょう)。

 天候は快晴、朝から思う存分に暑い感じがあったが、昼すぎには気温31度あったとの事。午前中にちょっとフォーマルな用事があったので歩くには不向きな服装で来てしまった。服の下にタラタラ流れる汗に、やはり現地見分にはもッとラフな格好じゃないといかんと痛感(汗)。

 以下、先日の見分では写真を撮らなかったので、その補充画像を掲げて見ます。

 なお、当日の様子は「冤罪 狭山事件→徳島・福岡から現調」でも紹介されております。

 ▲荒神様に向かう。すると。
 ▲去年来た時に途中まで工事中だった荒神様前の道路が完成していた。見事。としか言いようが無い。遂に、荒神様前の広場は整地され尽くし、もろもろの家も撤去されてしまった。樹木もほとんど伐採された様子である。祭礼の日には延べ千人近くの参詣客で賑わったかつての面影は無い。そのうちに、この神社自体が無くなってしまうかも知れない。▼
▼通称「X字型交差点」=でっち上げ出逢い地点
 ▼X交差点より「殺害現場=判決でっち上げ」方向を望む。畑の先の住宅街は事件当時は雑木林だった所。畑の中の道は事件当時の面影を残しており、可成り見通しの良い場所だった事が解る。このへんで農作業をしていた人が居たが、男と女子高生の二人連れを見た人は居ない。
▼その道からX交差点方向を望む
▼でっち上げ殺害現場よりX交差点方向を望む
 ▼同じく遺体発見現場方向を望む。駐車場のところは雑木林だった。写真右側の家があるあたりに小名木武さんの畑があり、ここで殺害が行なわれたと言う時刻には、農薬散布をしていた。
 ▲終了後、現地事務所近くの集会場で。石川さんは足を骨折されていたとの事。しかし、想像していたよりはお元気そうであったのがなによりでした。小生らは後から部屋に入ってしまったのが災いのもと、お座敷の真ん中に座るはめに(笑)。もっと、ひっそりとして居ようと思ったのですが。スミマセン。自己紹介は我ながらシドロモドロな感じがした。ですが、有り難うございました。
 ▲石川家のお墓参りをする。一日も早く、石川さんご自身がここを訪れる事が出来ますように。

7月14日

 またまた徳島からの現地調査団に合流。高校生の皆様のお力で平均年齢はグッと若返り。生まれ変わったような気分。いつもとチョット違う雰囲気が良かったですヨ(笑)。

 午後2時頃に狭山市駅西口から始める。台風接近により、天候は雨。ちょうど、事件発生当日のような感じ。
▼荒神様3景

 ▼ご存知X型交差点。ここまで、やはりどうゆっくり歩いても、駅西口から30分程度です。確定判決だと、午後2時に狭山市駅=当時は入間川駅に居た石川さんは、駅前の「すゞや」で、牛乳2本&アイスクリームを購入し、これらの商品を飲み食いしながら、荒神様を経由してこのX交差点にさしかかったところ、自転車に乗った善枝さんに出会ったので、「こちらへこい、チョット用があるんだ」と語気鋭く申し向け、写真左方向にあった雑木林に連れて行った、時刻は午後3時50分くらい、とのこと。

 つまり、X交差点まで来るのに1時間50分もかかったことになっていて、ここから実質徒歩時間30分を引くと、1時間20分も余ってしまいます。石川さん空白の1時間20分!その間、どこでどうしていたのかは、確定判決ではちっとも「推理」されてないんですが!

 そんなに長くここらあたりをうろちょろしていたら、誰か石川さんに会ったと言う目撃者がいるはずですが、それは誰もいません。他方、善枝さんは西武線の第1ガード及び第2ガード、そして関口自転車店近くで目撃されております。しかもこの関口自転車店と言う店は、このX交差点からさらに1キロぐらい先ですが!?

 且つ、石川さんは弁当箱を持ち、その上で牛乳瓶2本とアイスを持ち歩いたとのことですが、ちょっとこの持ち方が解りません。

 それに、あとで被害者の鞄と共に見つかった牛乳瓶は1本だけでしたが、もう一本はどこいっちゃったんでしょうか?

 (注:善枝さんの学校では昼飯どきに、パンや牛乳を売っていたので、見つかった牛乳瓶は、当日善枝さんが学校で購入したものと考えたほうが妥当です)

 ▼そしてでっちあげ殺害現場にて。

 いっしょに参加したTさんに、解説の安田さんの声がどのあたりまで聞こえるかを実験してもらったところ、約50メートル離れた場所からも声は聞こえたとの結果でした。

 ああそれなのに、事件当時この「殺害現場」(当時は雑木林)のすぐ横(写真右側の家のあたり)の畑で仕事をしていた小名木さんは、ここで殺人があったと言うのに、それらしき物音や悲鳴はなにも聞いていないのです。この現場から小名木さんの仕事現場まではだいたい20〜30メートルくらいの距離なのに。

▼チト疲れ気味の小生でしたが?

 それにつけても、とうとう徳島の皆さんの現地調査には常連化してしまいました;。もはや皆様と小生は一蓮托生です(笑)。

9月16日

▲善枝さんが通っていた学校付近

 一人でも多くの方に自分の目で狭山を見ていただこうと言う事をモットーにして、この日も初めてお会いした人を含め8人で、真夏に逆戻りしたような気候の中を、歩いて来ました。私も自分のしゃべりは最低限にして、案内人と言うよりも、個人の参加者として同じ目線で事件関係箇所を見る事にしております。

 事前に連絡を取ったところ、この日にちょうどほかの現地調査の方が現地入りしていて、事務所に石川さんがいらっしゃる事が解りましたので、コースは現地事務所→旧入間川分校跡→第一ガード→第二ガード→関口自転車店→荒神様→事務所に戻る、と言う感じで、途中まで被害者の善枝さんが辿ったと思われる道を歩くのが狙い。歩くと2時間近くかかる距離になり、非常に暑い中の徒歩で、参加者の皆様に於かれましては、本当にお疲れさまでした。事件が起こった場所の雰囲気は、だいたい感じていただけた事と思います。

▲第一ガード

 事務所では早智子さんに直々に、鴨居の説明をして頂きました。

 その後、上記のコースの見分。二つのガードと、関口自転車店付近では事件当時、被害者の目撃証言があります。善枝さんが下校後、どのような道筋を辿ったのかについては、色々な説が考えられますが、いずれにしても、このあたりで誰かと待ち合わせをしていたか、自宅とは別の目的地があって移動していたと言う事は、まず間違い無い処でしょう。事件当日荒神様でお祭りがあったので、そこから外れた道を人目を避ける形で通っていたと言う印象です。

 事件当日の2時台から4時台にかけて(時刻には色々異論も考えられるが)これらの場所で善枝さんの目撃証言があるのに対し、入間川駅から1時間50分もかけてX型交差点まで来たと言う石川さんを目撃した人は誰も居ないと言うのは全くの不自然。勿論、あらゆる書籍やサイトでも何度も言われているように、見通しの良い畑の中の道を、善枝さんと石川さんが自転車を押しながら歩いていたのを見た人は誰も居ません。

▲関口自転車店、今はバイク屋さん
 徒歩終了後は、石川さんからいろんなお話を聞くことも出来ました。「私ももうすぐ七十歳、この石川が倒れたりして支援して下さる多くの皆さんにご心配やご迷惑をおかけしては申し訳ない、だから健康には人一倍気を使っています」と言う一言が印象に残りました。足の怪我も完全に治り、身体を鍛えられている様子。私も、更に署名も含め出来る限りの支援をさせていただく所存。
◆長兄説◆
◆黒幕説◆
◆屍体埋没◆
◆怨恨説◆
黒幕説補稿
異説 紛々
◇狂言誘拐説◇
長兄の手記
電話の証言
法医考察1
法医考察2
法医考察3
法医問題の決着
基礎事実の検討1
基礎事実の検討2
現地調査写真
現地調査写真2
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