2006年実況見分

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THE WORLD 21

5月1日

 2006年5月1日、予定に沿い現地見分を実施。
 
 *見分行程
 狭山市駅西口→西口から旧東中(野球試合をやっていた)そば
の踏切を東側へ渡る→荒神様を経て「出会い地点=X字型十字路
→右折して犯行現場とされた雑木林跡→屍体発見現場
 これは自白による経路を辿ったものである。
 
 なお、当日の様子は石川早智子さんの「冤罪狭山事件」にも掲
載されております。
 天候は快晴、気温は恐らく30℃に達し汗がにじむ陽気に。
 参加人員は例によって新井泉氏、「狭山事件関連資料」作者
465ー476氏及び当サイト視聴者の方々含め12名。
 ▲駅西口(右側)より、これから進む方向を望む。左、薬屋
の処に、石川さんが午後2時頃、アイスクリームと牛乳を購入
したとされた「すずや」が今もある。
 ▲なんと。昨年も訪れた荒神様の境内(児童公園があった)
は工事中である。道路を通すらしい。事件当時の面影どころか
去年の風景でさえ、この様に毎年どしどし失われて行くので、
主要地点の映像は早めに記録しておいた方が良いと痛感。
 ▲鳥居から屍体発見現場方向を望む。
 ▲通称X字型十字路・山学校方向を望む
 ▼同・反対方向を望む
 ▲出会い地点を右折して徒歩約2分、教科書・鞄発見場所方
面を望む(中央奥、突き当り付近)。中央のドブ川は事件当時
「溝」と呼ばれていた名残り。ここ迄(もう「殺害現場」はす
ぐの地点)相当ゆっくり歩いたとしても、駅西口から三十分も
あれば充分に着く。自白では午後2時すぎに駅に到着した石川
さんは、弁当箱を片手に牛乳とアイスを飲み食いしつつ、なん
と1時間半以上もかけてここ迄来たらしい(笑)いや、笑い事
では無い。

▽新井泉氏より寄稿文▽

 今回の現地調査にあたって

 盛況氏の企画により石川氏の「自白による足跡」をたどりま
した。経路は、狭山市駅(当時の入間川駅)を起点に荷小屋跡
付近から荒神様(三柱神社)を経由し出会ったとされる十字路
へ。そこから鞄、教科書、ゴムひも(自転車の荷ひも)が発見
された場所、犯行が行われたとされる雑木林跡地(現在は駐車
場)、最後に遺体発見現場へと移動しました。
 

 今回の現調では、駅から近い出会いの十字路、荒神様のあた
りが再開発により大きく変わってしまっていた。また遺体発見
現場付近も、宅地造成により新しい家が建ってしまっていた。
 あらためて歩いてみると、起伏が多くそれなりにしんどい土
地なのですが、極めて狭い地域において自白の筋書きがなされ
時系列として考えると、矛盾だらけであるという事がわかりま
す。
 当日参加された方も「もっと広い地域を移動すると思ってい
た。」との声も聞かれました。

 その後現地事務所にて「鴨居」の見聞後、石川夫妻のお話を
聞きました。
 当時の状況を聞いている時に石川氏が「いりまがわ」と発音
する事に興味を覚えました。ちょっと本旨から外れるのですが
被害者宅近くを流れる不老川(としとらずがわ)の表記がふろ
うがわと変わっていた事と併せ時代の流れを感じました。
 石川氏には、無実を勝ち取るまで頑張って欲しいと思うと共
に、我々のできる協力を改めて決意しました。

 ここで一旦解散となり、有志の者で昼食兼座談会となりまし
た。参加者が色々な質問を同行されていた方になされ、「みな
さんよく勉強してらっしゃる」と感心、また「嘘をつくとトク
するのは犯人だけ。」という事を基本に展開された推理には、
少なからず影響を受けました。

 最後に被害者墓所を参って今回の現調を終了となりました。

 後日談になるのですが、盛況氏に「ひこつくし」ってどんな
結び方?と質問した所、「すごき結び」とも言うと聞き調べて
みました。
 実際やってみると名前を知らなかっただけで、以前仕事で教
えて貰い知っていた結び方である事が判明。一部では「特殊な
結び方である」との話もありましたが、慣れれば片手でも簡単
にできる物です。この結び方が得意という事を持って
「容疑者」とされたんじゃ…(笑

 ▲経路=X字型十字路より「殺害現場」→屍体発見現場
 赤ラインが今回の経路。
 ▲手前の白い門扉付近・自白による殺害現場とされた場所か
ら屍体発見現場方向を望む。画像右側に少し見えるブロック塀
から向うに当時小名木氏の畑があった。
 ▲屍体発見現場跡。以前の見分よりも更に近寄って見る。中
央庭木のあたりで、頭を写真手前に向けた形で屍体が発見され
た。芋穴の方向より撮影。屍体と芋穴の距離は住宅2、3軒く
らいである。
 そして後、新井氏のレポートにもある通り、現地事務所に石
川さんご夫妻を訪ねた。石川さんがお元気そうであったのが何
よりであった。無実の罪を晴らし、ご両親の墓前に報告する為
にも、健康が何よりと願わずにおれなかった。
 石川さんが「罪が晴れたら夜間中学へ行きたい。それから、
ケニアへ行ってみたい。いろんな動物を見てみたいのです」
と語っておられたのが印象に残っている。
 
 今回は、狭山現地は初めてと言う方々が多く参加された事も
あり、例によって部落解放同盟のYさんにご案内して頂きまし
た。
 
 ▼記念撮影。

 ▲命日のお墓参り。
 ▼現地見分の前日、465ー476氏に送って頂いた画像。
この不老川の向うの駐車場あたりに、被害者宅次兄の中華料理
店があったと推定されると言う。場所は、入曽方面にある山王
小学校の、川を隔てたはす向かい。帰りに車で通ったのだが、
特に写真を撮らなかったので掲載させて頂いた。また、新井氏
の寄稿文にもある「ひこつくし=すごき結び」に就いての事実
こちら=基礎事実の検討→ひこつくし=すごき結び
                (2006年5月4日記)

 追記:この駐車場が、被害者次兄の店舗跡だと言う事が、最
近我々の調査に参加されたTさんの追加調査によって、確定さ
れた(2007年7月23日記)。

▽石川早智子さんよりメッセージをいただきました▽

 先日はわざわざ狭山まで現地調査に来ていただきありがとう
ございました。
 一人でも多くの人に狭山を知っていただきたい、関心を持っ
ていただきたいと願っている私たちにとって、狭山に来ていた
だけることはほんとうにうれしいことです。狭山の現地は大き
く変わっていますが、それでも時間的な検証や、出会い地点と
されるところから農道にかけてまだまだ変わらない部分も残っ
ています。なにより、狭山の真実を自らが確かめようと、行動
を起こしてくださること、43年たっていますが、狭山は今も
そこからがスタートです。
 
 挨拶の中でお話をさせていただきましたが、私たちは今度の
第三次再審で事実調べや、証拠開示を勝ち取るため闘いを続け
ています。石川が生きて元気な間に再審開始の朗報を聞きたい
のです。この闘いを今もなお多くの人が支援してくださってい
ることが私たちの励みです。
 
 石川は無実を訴え続けながらも32年間の獄中生活で、すべ
てを奪われたといっても過言ではないような人生を送ることを
余儀なくされました。それでも「文字を取りもどすことができ
た。心が豊かになった」と言います。私は石川と共に暮らすよ
うになってそのことが少しわかるような気がします。
 
 5月23日には、東京高裁へ第三次再請求を申し立てます。
また、日比谷野外音楽堂で「狭山事件の再審を求める市民集会
(庭山英雄さん、鎌田慧さん等が実行委員をされています)」
が開かれ、署名活動など今後の取り組みも提起されます。10
月までに新100万人署名を集めることを目指しています。
 私たち今度こその思いでいます。
「真実は必ず明らかになる」と石川はいつも言っています。私
もそのように思います。
 冬の後には春が来るように、長い夜の後には朝がくるように
・・・
 狭山の夜明け前のこの暗闇に、一時も早く光射す日が来るよ
うに毎日祈るような気持ちでいます。
 今後ともお力添えいただけますよう心からお願いいたします
。ありがとうございました。
 
 43年前の5月1日も荒神様はお祭りで、当時は千人以上の人でにぎ
わったそうです。荒神様は一ヶ月ほど前から工事中で(区画整理)当時
の敷地の半分に・・・現地は今も変わり続けています。(左)
 殺害したとされる雑木林跡地ですが、43年という年月の長さを思い
ます。死体を隠したとされるルミノール反応検査は出されている(証拠
開示請求の闘いの結果)が殺害したとされるこの雑木林のルミノール反
応検査は隠されたままです。(右)

 

 昨日早智子さんから上のように、お手紙を頂きました。画像
は、同封して頂いた写真です。
 当日検証した様に、午後2時過ぎに入間川駅(当時)に着い
た石川さんが「被害者との出会い地点」迄1時間50分ほども
かかって歩いたと「されている」道は、時々立ち止まったりし
ながら這う様に歩いたとしても精々が30分の道のり。その上
出会い地点から先の道を被害者と二人連れで歩いたにも関わら
ず、当時畑仕事をしていた人もそのような二人連れは「見てい
ない」と言う。
 
 他にも確定判決が全くの強弁である理由は様々にあるが、決
定的な事柄を一つだけ記すと。
 確定判決によると石川さんは「5月1日午後3時50分頃」
X字型十字路で被害者と出会い、まもなく殺害し、「同日午後
9時頃」屍体を遺棄した。しかし屍体には背中と表側、両面に
死斑があった。死斑は最低7時間を経過しないと残留定着せず
「死後4〜5時間では体位変化で死斑が移動」すると言うのが
法医学上の常識である。そうなると、仮に午後3時50分に被
害者が亡くなったとして、同日午後9時に穴に埋没させられた
のであったとしたら、殺害から埋没まで5時間ほどしか無い事
になり、背中の死斑は消えてしまう。これは推理でも何でも無
く決定的且つ科学的な事実である。この一事を以てしても確定
判決は有り得ない。
 
 この様に、一人の人間を「殺人犯」として有罪にするには全
く疑わしい「事実」及び、科学的に見て全く間違った「事実」
に基づいた判決は是非この第三次請求で覆さなければなりませ
ん。当サイトと私自身も、微力かも知れませんがその闘いに参
加して行く所存です。
                    (5月18日記)

5月27日

「狭山事件を考える徳島の会」の現地調査

 
 5/21にメールでお知らせを受け取り、徳島の会の主催する
現地調査が行われる事を知りましたので、急遽飛び入りで参加さ
せて頂きました。新井泉氏と航空公園駅で待ち合わせ、取り敢え
ず豚肉丼&みそ汁で腹を満たした後、現地事務所に赴きました。
 「あれっ、今日は?」と言う、いつも我々の現調でも案内をお
願いしている部落解放同盟Yさんのチョットびっくりなさった顔
が印象的でした(笑)。そう、まったくの急遽押しかけ参加でし
たので。なにしろ多方面に連絡を取る時間もないままに、取り敢
えず徳島の会のリーダーの方の了解だけを得ての今回です。
 午後1時すぎ、事務所前に徳島ナンバーの巨大なバスが到着。
 遠路、四国徳島からバスで走り続け、現地事務所の鴨居の説明
と事務所前での記念撮影の後、そのまま早速、現地調査に。疲れ
を見せず現調に入る皆さんには、全く脱帽させられます。
 天候は小雨。1日の調査時とは正反対で、肌寒い中での調査と
なりました。コースは狭山市駅西口より、まず石川さんの真実の
経路を巡るべく、事件当日午後2時すぎに当時駅前にあった荷小
屋に至る道を辿る。
▲おざわ毛糸店。事件当日、被害者善枝さんが針刺しを買った所
です。現在でもこのとおり、営業中です。▼
▼善枝さんが通っていた県立川越高校入間川分校跡。現在は医師
会立看護学校となっております。
▲善枝さんがオリンピック記念切手の領収書をもらいに立ち寄っ
た郵便局の跡地、今は駐車場となっております。
▲石川さんが当日通った八幡神社前。
 写真は此処まで!ト申すも、この日はここいらあたりでデジカ
メの電池切れ。先日の見分に引き続き、撮影の失態。ウーン、カ
メラマン失格ですなあ(笑)。
 
 コースはこの後、今は完全な更地になっている石川さんが通っ
ていた(しかしほとんど通学出来なかった)小学校の跡地。石川
さんはこの小学校の校庭で時間つぶしをしていたところ、雨が降
ってきたので、急いで駅の荷小屋へ行った。事件当日本降りとな
ったのは、記録によると4:20からなので、荷小屋へ向かう時
の雨とはこの前の3:26〜3:39の小雨の時と目される。そ
の後、4:20から後が本降りで、4時半頃に石川さんはこの荷
小屋で東中で野球試合が中止となって雨の中を帰宅する中学生の
集団を見たと言う事になります。更に5時頃にはかつて勤めてい
た養豚所のトラックを見かけました。
 実際にこのようにして歩いてみると、石川さんの真実の行動の
時間的な蓋然性が高い事がはっきりします。
 
 こうして再び駅前に戻り、丁度荷小屋跡から、今度は1日にも
歩いた「自白」による経路を取りました。
 このように、「自白」経路と、「真実の行動」経路を、実際に
歩き、それぞれが時計で時間を計って見ますと、自白経路=確定
判決での有罪認定が、いかに杜撰且つ出鱈目及び不可能なもので
あるかを、身をもって体験する事が出来るのです。
 
 徒歩でのコース見分終了後、石川さん、早智子さんを交えて、
近所の集会所での学習会、そして石川さんのご両親のお墓参りを
して、午後5時過ぎ、この日の調査を終了致しました。
 1日の時もそうでしたが、学習会での、早智子さんが、ご自身
の被差別経験も含め、石川さんとの徳島での出会いと、冤罪を訴
える姿に、感動しました。バスでの遠距離移動にもめげず、年配
の方から高校生の女の子まで参加していた徳島の会の活動にも、
逆にこちらが励まされた次第です。きっと出発の時には暑かった
のでしょう、中には小雨であの気温の中歩くには「半袖で大丈夫
かしら」とこちらが少々心配になるほどの方もいっらっしゃいま
した。
 石川家の墓所には、徳島の会と我々だけで墓参を致しましたが
「見えない手錠を外すまでは両親の墓には行けない」と言う石川
さんの心中は、察するに余り有るものがあります。
 
 インターネットとは便利な道具で、今やちょっとした調べもの
や買い物などは、いちいち外へ出向かなくても、ネット利用で済
ませてしまう事も可能で、筆者もそのようにネット利用をしまし
て、それどころか近年では幾らかはインターネットそのもので仕
事さえしておりますが、当サイトの読者の方々におかれましても
一度ネットから離れて外へ出て、都合がつけば現地調査に参加さ
れる事を是非お勧めいたします。最初は、現地へ赴く事や知らな
い人と顔を合わせる事は、面倒な事かも知れません。しかし実際
それを実行して見ると、思っていたほど面倒な事でもない事が解
ります。初めから全ての活動に全面的に参加すべきとは申しませ
ん。筆者自身も仕事をし、日々の生活に追われながらの事で、全
てを本件に費やすことは出来るものではありません。しかし、そ
う言う限界をもった一人一人が、今出来ることを積み上げ、拡げ
て行くと言う事が、大きな力になるものと、今迄の経験上、これ
は確実に断言出来るものです。
 現に、当サイトを開始してから、幾らかでも判明して来た諸事
実に就いて見ても、とても筆者一人だけの力では調査出来たもの
ではありませんでした。そこには数少ない仲間の発する疑問や、
サポートする実行力があっての事でした。
 
 徳島の会のサイト運営をされている「かんちょう」さんとも、
お互いのサイトを通じてネット上で知合いました。筆者自身は、
もともとこの狭山サイトを制作して狭山事件に入って行った訳で
すが、必然の勢いとは言え、やはり人と人との繋がりは、実際に
顔を合わせ、名を名乗ってのおつきあいに至ります。今回はたま
たま、1日、27日と色々な人達との出会いがありました。この
事件では、様々な人々が、それぞれの立場と場所で、活動を展開
しております。その私達がこのような機会をとらえて、横の繋が
りを持ち、そこから更に活動に参加して行く人々を拡大してゆく
事が肝要と、感じた今月でもありました。
◆長兄説◆
◆黒幕説◆
◆屍体埋没◆
◆怨恨説◆
黒幕説補稿
異説 紛々
◇狂言誘拐説◇
長兄の手記
電話の証言
法医考察1
法医考察2
法医考察3
法医問題の決着
基礎事実の検討1
基礎事実の検討2
現地調査写真
現地調査写真2
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