*追記(2007/12/4)
被害者の目撃証言については、既に記したように目撃時刻が下
校時刻と矛盾している(目撃時刻をそのまま採用すると被害者は
学校から遠い方から学校に向かって移動したかのようになってし
まう)為、その矛盾を解決する為に、上記のようにこれまでも様
々な推理がなされている。
この点につき、本年9月の現地見分に来られたK氏から、可成り有力な異説を送って頂いたので、遅ればせながらここに追記る
事とする。以下、基本的にK氏よりの文面を若干再構成しながら
引用させて頂いた。なおK氏は過去狭山市近隣に在住、その後相沢健一氏に面談し話を伺った事もあるとの事である。なお、緑字部分は筆者(当サイト制作者)の考察。
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ー要点ー
*相沢証言の信憑性が最も高いこと
*従って野球試合開始予定時刻は証言通り3時半と見られる
*他の目撃証言も上記に沿って考える
*相沢証言について
目撃証言者中、相沢健一氏の証言が、全民間人の中でも最も信頼
出来るものと考えられる。その理由としては、
1、事件発生の翌日の朝8時半には警察から事件の概要を聞かさ
れその時点で被害者目撃を「昨日のこと」として証言している。
2、元被害者の担任であり、現役教師(当時)という責任ある立
場からも、曖昧な証言やいい加減な推測などは行わないと考えら
れる。
3、1か月半前まで担任していたクラスの生徒が被害者となった
事件であり、顧問を務める野球部の試合と合わせて、その目撃状
況は強烈に印象付けられたと考えられる。
4、少年や若年者、高齢者では無く、32歳(当時)という最も
状況への観察力や記憶力の優れる年代にあっての証言である。
*奥富証言について
奥富少年の証言については、相沢証言と比べてもかなり正確さに
は欠けるものと考えられる。その理由は、
1、証言の中に、明白な矛盾(授業終了が2:35であるのに、
「2:40頃、自転車店前で善枝さんとすれ違った」等)が含ま
れている。
2、警察も初期の段階から重視していない(喋り方が曖昧であっ
たことなども想像される)
3、友人に話したのが5月3日、届け出が5日で、若干の時間が
経過している。
4、当時まだ14歳の少年の証言である。
しかし「東中の野球の試合を観に行ったが、雨で中止になった」
という記憶と「その途中で善枝さんと出会った」という記憶がセ
ットになっているのだから、5月1日に被害者と出会ったことそ
のものは事実であったとみて良いと思われる。
奥富少年は当初、被害者と出会った時間を「2時40分頃」と証
言しているが、この時刻そのものは間違いであったとしても「授
業終了後間もなく下校し、東中へ向かった」というニュアンスで
はあったのだと思う。相沢証言に従えば、3時15分頃には試合中止が発表されたことになるから、関口自転車店前を通りかかる可能性がある時間は大体2時45分〜3時5分の間。
被害者は3時過ぎには学校にいて、しばらく雑誌を読んでおり、
3時23分に下校しているから、そこから考えれば2時55分前
後とみて良いのではないか。
*東中の野球試合について
野球の試合中止の件であるが、これはやはり相沢先生が「試合自
体が行われなかった」と話しているのだから、そちらの方が正し
いのではないではないか(「奥富少年が東中に着いた時は3回の
表か裏だった」という話は、特に裏の取れた話ではない)。
また、中止になった時刻は、「東中に着いて、ノックの練習を始
めていたら中止決定を知らされた」、「部員を連れて3時半頃、
再び第2ガード下に差し掛かった」とのことであるから、「道具
を片付ける+600〜700メートルの距離を移動」の所要時間
から逆算すれば3時15分頃だったのではないかと推定される。
野球試合自体の開始予定時刻は、やはり相沢証言どおり3時半で
良いのではないか。私は教育学部出身で、学校関係の仕事にも、
10年余り従事していたが、そこでの感覚から言うと「4時試合開始」というのは明らかに遅い。
中学校は義務教育であるので、日が伸びている時期でも、課外活動は5時頃まで(少しくらいのオーバーならOKだが)に終わら
せることが原則となっている。遅い時間に帰して、生徒が事故や事件にでも遭えば、当然学校や教師は責任を追及されることになる。ましてや、当時の狭山地区など道に街灯も無く、周りは雑木林だらけであった。
私は、そんなことからも、やはり相沢証言に出てくる時間の方が
自然なもののように思える。
*実際、降雨も3:26〜3:39の間小雨であったので、このように
雨が降ったり止んだりしていた時点で「本日の試合は無理」と判断され
中止と決断された可能性もおおいにある。
*犯人が待ち合わせ場所を「第2ガード」から「第1ガード」に
変更した理由
相沢先生は「野球の試合は3時半から」で、「試合前、30分ほ
どノックをやるのが慣例になっていた」と言っているのであるか
ら、当日も2時35分の授業終了後すぐに生徒を集め、東中3時
到着を目指したとみて良い。と、なればやはり被害者と第2ガード下で出会ったのは2:45〜50頃と考えられるのではないかと思う。
*「2時35分授業終了」は被害者の高校での終業時刻であるが、K氏
が勤務していた頃(昭和40年代半ば)の付近の中学校の授業終了時刻
は2時35分であった事から、事件当時の相沢先生の中学校でも同時刻
に終業であった可能性が高いと見て良いと思われる。
犯人は直後に現れたはずであるから、相沢先生と善枝さんが話し
ている姿を遠くから目撃していたのかもしれず、そうなれば、当
然犯人は、「今の人、誰?」と聞き、善枝さんも普通に「中3の
時の担任の先生」と答えるだろう。
あるいは、犯人はこの2人の出会いを目撃していなかったとして
も善枝さんから「今、ここで待ってたら中3の時の担任の先生に
会っちゃった。これから生徒を連れて野球の試合に行くみたいだ
った」と聞かされたのかも知れない。部活の生徒を引き連れてい
るとなれば、試合が終わるか中止にでもなれば、当然同じ道を引
き返してくることになる。待ち合わせ時間を1時間後に変更しよ
うと考えていた犯人は、それを聞いて「これはマズい」と思った
のではないか。
*上記の考察を総合した目撃証言の時系列
2:35 授業終了。直後に下校「1番早く帰った」との証言
2:45 第2ガード下到着。犯人となる人物との待ち合せ時刻
この日の朝、郵便局で切手を買ったものの領収書が貰
えないという不測の出来事があったが、犯人に連絡を
取る術が無いので、諦めてガード下に直行。
2:45〜50 相沢先生と出会う。直後に犯人現れ、「待ち合
わせは3:45 第1ガード下に変更」と聞かされる
(犯人側でも、準備が整わない又は車が到着しない、共
犯者が現れない等、何らかの不測の事態が発生したと
考えられる)。
2:55 元来た道を引き返すと相沢先生と再度出会ってしまう
ため、線路の反対側の道を進む。自転車でぶらぶらす
ることも考えるが、小雨が降り出してきたため、遠回
りして学校へ引き返すことに。この時、関口自転車店
前で奥富少年とすれ違う。
3:00過ぎ 学校着。雑誌を読んで時間を潰す。(少し慌しい
感もあるが、当日は雨も降り始めており、女子高生が
時間を潰せるような場所も他に無く、また他人にこれ
以上人を待つ姿を見られたくなかった事や、第1ガー
ドまで学校から5分足らずの距離であったことなども
考えれば、格別不自然では無い)
3:23 再度下校。待ち合わせ時間が変更になったことで、立
ち寄りたかった郵便局や毛糸店に行くことが可能に。
その時間を考えて少し早めに学校を出る。
3:30頃 相沢先生は降雨で試合中止の為、再び生徒を引率し
第2ガードを通る。この時被害者はもう居なかった。 一方、被害者はこの時刻頃迄に郵便局と小沢毛糸店に 立ち寄る。
3:40 第1ガード下に着。主婦に目撃される。
3:45 犯人現れ、車で連れ去られる。
4:00頃 駅前の荷小屋で雨宿りしていた石川さんが自転車に
乗って下校する中学生の集団を目撃。K氏の説から考 えると、これは東中の生徒達であったと思われる。
*事件発生当時のガード付近について
事件発生時に近い頃の現場(第1、第2ガード辺)の雰囲気は、暗く寂しい場所と言う印象で、このガード下へ行くと言う事はどちらかと言えば「人目につかないようにしたい」と考える人間が行くような場所であった。昭和40年代に私が行った時でさえ、第2ガード下は15分立っていても通行人はゼロ、第1ガードも1人通り掛かっただけであった。この点、現在の整備され周囲も明るくなっている両ガードの雰囲気からは想像するのは難しいと思う。
この事から、被害者は目的地に移動しながら雨宿りをしたのでは無く、これらのガード下で人目を避けて待ち合わせをしていたと考えるのが妥当と思われる。
*或いは、人目を避けつつ、降ったり止んだりしていた雨も避ける、と
言う一石二鳥な場所としての選択と言う考え方も出来ると思う。
*補足考察
1=私の説(或いは亀井・野間説)によれば、被害者は3時過ぎに一旦学校に戻ったことになるが、もしそうだとすれば郵便局や毛糸店に立ち寄るのは、学校に再度戻る途中にした方が時間的なロスも最小限で済むはずである。
しかし、被害者は実際には「2度目の下校」後の3時半頃に郵便局に現れている(郵便局員の証言による)。と、いう事は、もしかしたら被害者は最初「3時40分位まで時間をつぶすつもり」で教室に戻ったものの、郵便局と毛糸店の件を途中で思い出してまた早目にそこを出た、ということだったのかも知れない。
「学校に一旦戻った」とする説に対しては、「15分程度の時間をつぶすために教室まで戻る、というのでは少し慌し過ぎないか」との感想を持つ人もいる事と思うが、このように考えてみるとその行動も全く不自然では無くなるように思う。
*つまり、被害者の行動にはこのように、言わば思いつきの動きも含ま
れていたと言う事。確かに、普段の人間の行動などは一から十まで全て
計算ずく、と言う事の方がむしろ少ないわけであるから、このような考
え方をしてもとりわけ不都合な推理にはならないと、筆者も考える。
2=事件当時のガード下の通行量は、私の受けた感じでは第2ガードが「30分に1人」、第1ガードが「10分に1人」といった程度だった。
しかし、事件当日は荒神様のお祭りがあったので、おそらく「第1」の方は普段の倍位(5分に1人位)の通行量はあったのではないかと想像される。
そうなると、待ち合わせ場所を「第1」に変更することは、目撃される危険性を大幅にアップさせることにも繋がってしまう事になるが、犯人(呼び出し犯)がそこまでして待ち合わせ場所を変更したのは、もしかしたら、何としても「相沢先生にだけは会いたくない、見られたくない」という事があったのかも知れない。
女子高生の誕生日に人目を忍んで会う、という位だから、おそらく『呼び出し犯』は「熱愛中の彼氏」だったのではないか。1か月前まで中学生だった少女だから、相手の年齢もせいぜい同学年から20歳位(今でも15歳位の少女が中年男と付き合う、とかいうのは余り無いが、当時にあってはまず皆無だったろう)。当時の狭山は人口も少なく、付近に中学校は3つ程しか無かった。よって、2人が学校で知り合ったと仮定すれば『呼び出し犯』は相沢先生の教え子或いはよく知っている生徒の1人だった可能性も十分あると思う。
*つまり、一般人に目撃される事よりも、相沢氏を含む「顔見知り」に
見られる事を最も避けた、と言う事。
K氏は過去、狭山市近隣に在住していた事、学校関係の仕事をされていた事、事件当時の雰囲気がまだ可成り残っていた頃(昭和四十年代)の現場付近を知っている事、相沢健一氏に話を伺った事、等の点から、可能性大の考察と考え、ここに追記として掲載させて頂いた次第。
K氏のこの考察は、文中にもあるように、小生(当サイト制作者)が以前は否定的であった「亀井・野間説」での「被害者一旦下校後、再度学校へ立寄り、更に再度下校」説を補強したものと言えよう。亀井、野間両氏が余り検討する事も無くスルーしてしまっていた奥富少年証言をどう見るかについても突っ込んで考察されており、また、犯人像及び犯行様態にも迫る要素も含まれており、事件当日の被害者の足取りについての有力な説明になっていると思われる。 |