本件犯行様態は、第一に流しの営利目的犯で被差別地域住民、第二にOG、そうでない場合でも第三に被害者近親の者へと、容疑を誘導する為に二重三重の偽装を施したものではないかと見られる。 屍体埋没の方式に就いても、その様に真の動機を隠蔽し、犯行主体が別方面に在るかの如く、手の込んだ偽装を実施したものの様に思われる。
屍体は、縦166cm・横88cm・深さ86cmの穴を掘削して埋没せられていた。まず、この穴が単独犯の場合に掘削出来るかどうかを検討しておこう。 実はこれに就いては既に明確な結論が出ている。昭和46年に、亀井トム氏の要請により部落解放同盟の朝田委員長(当時)が本件埋没場所と同じ黒土の畑で掘削実験を行った処、独りでも30分以下で掘る事が可能であった。 又、筆者の過去の経験では、深さ80cm程度で直径も同程度の円い穴であれば、十数分程度で掘る事が出来る。 よって、埋没穴掘削の困難度から本件が単独犯であるのか複数犯であるのかを決定する事は出来ない。
問題は掘削・埋没を終えた後の残土処理である。 単独・複数の如何に関わらず、ただスコップだけを持参して残土を処理する事は不可能である。上記朝田氏の実験では米俵3俵分、八幡鑑定では「埋め戻しに際して充分な踏み固めを行っても、石油缶6杯分程度」の残土が発生する事が判明している。この多量の残土を処理する為には、あらかじめ自動車又はリヤカーなど、残土運搬の為の道具を準備していたと見るべきである。或いは、殿岡駿星氏の推理の様に、埋没遺留品である荒縄と風呂敷を駆使した残土ばら撒きを行うなど、特別の方法をあらかじめ考慮したと見るのが妥当である。 常識的に考えると、この様な周到な用意をするのであれば、本件殺害が突発的事件では無く、相当な計画性を伴っていた可能性の方が高いと言えるだろう。且つ、残土処理の用意は、あらかじめ計画をしていさえおれば、単独犯でも可能である。 よって、残土処理の困難度からも単独犯か複数犯かを決定する事は慎んだ方が良い。
次に、埋没遺留品に就いて検討を加える。
埋没遺留品(と埋没の仕方)は全般に於いて屍体を冒涜し、以て被害者宅を畏怖せしめる事に利用され、又一部は営利目的犯が身代金奪取迄の間、被害者を監禁していた様子を表現し、一部は血縁者・近親者の犯行を想起させる様、仕組まれたものと見られる。
出処=不明だが埋没地付近の土壌に自然状態で混入する事は無いと言う鑑定が提出されている。従って犯人が意図的に持込んだ物である事は確実と言って良い。 大きさは20×13×13cm、重量4.65kg
既に多く言われて来た処であるが玉石を頭上に置く事により、死者の霊を封じ込めたいとする犯行者の心理の顕われ。しかし只それだけの目的の為にわざわざ他所から玉石を持参して来たとも思えない。他に何か実用的具体的な狙いがあったであろう。 即ち屍体頭部保護の含みを持たせる事により、近親者の犯行をも偽装したものと見られる。 *しかし本当に犯人が近親者で、本気で頭部保護するつもりならこの玉石 はもう少し丁寧に、頭部直上に設置した事だろう。実際には玉石は頭部 右上に置かれていたのである。 或いは、後述 逆「枕なおし」に関連する物とも考えられる(ビニ−ル片の項参照)。
出処=埋没地付近の中川・椎名方境界及び椎名方(建築中)の東側から紛失した物とされた。しかし紛失した縄の全長は31m余で現場から領置された縄の全長=24mよりも長い。他の幾つかの証拠品同様、縄が盗難にあったと言う話は警察による偽造事実の疑いがあり、よって本来の出処は不明である。
土葬では棺桶(竪棺)に四方から縄掛けして墓穴に降ろし、縄を切った後に埋葬する(両墓制の有無に関わらず)。その際、縄をそのままにしておく事は亀井説に述べられた如く「縄つき」と称して忌み嫌われる事から、本件に於ても、屍体を冒涜する目的であったと見られる。 同時に営利誘拐時、身動きの出来ぬ様縛り上げて監禁していた事を表現。総計24mもの長さがあった事については、上記縄つきを顕わす他、不良集団が近隣から荒縄を窃盗して使用したとの、無造作な犯行を装う。
出処=不明
ひこつくし(すごき結び)様の結び目は、誘拐後の監禁状態を表現。但し細引が付けられたのは死後である事が判明。屍体にこの細引による索条痕が無かった為。 なおひこつくし(すごき結び)は従来言われている様な特殊な結び方では無い。 →参照=基礎事実の検討2→ひこつくし=すごき結び
*更になお・この結び方を「知っていた者の犯行」である事は勿論当然の 事である。実際、屍体にはこの結び目があったのだから。
出処=東京都江戸川区月島食品工業が8434本を取引先等に配布した。狭山市内では9ケ所に配付された。
目隠と言う状態は、営利目的犯が監禁時、顔を見られぬ様にした 事を偽装。
出処=後述荷札と同じと思われる。
顔面保護を装い、近親犯行者の存在を偽装。 同時に両手を後ろ手に縛ったタオルと対を成して、死後の「枕なおし=北枕」の逆の形となっている。葬儀の際は死者の身辺を整え頭を北向きにして仰臥させ、両手を胸の辺りで合掌させ、顔には白布を掛ける。これを「枕なおし」と言う。屍体埋没状況は尽くこの逆になっていた。 *頭部の向きは「南向き」と言われて来たが、正確には南西若しくは西南 西と見られる。 即ち、両手は後ろに縛られて組まれ、うつ伏せの為顔に掛ける布=ビニール片は顔の下になった。また頭上の玉石を枕に見立てる事も可能である。 ここにも、屍体冒涜による怨恨の顕われが見て取れる。
出処=五十子米穀店が得意先に配布した165本中の1本。
上記ビニール片と対を成すもの。 同時に目隠のタオル同様、監禁時の状態を偽装したものである事は容易に想像出来る。またこの手拭が被差別地域にも配布されていた事により、当該地域居住者の犯行を偽装。
出処=築地丸京青果が堀兼農協を通じ上赤坂地区に霜除けのビニール布と共に配布した物。荷札と共にビニール布も出土した。顔の下のビニール片の出処も同じと思われる。
この様な出物が出土している事実は、犯行者の中に農業関係者=近親者が含まれていた事を彷佛とさせる。意図としてはその事を偽装したものであろう。 恐らくは被害者宅にも配布されたであろう荷札が、この様な形で屍体上方に混入されていたと言う事実は、屍体を出荷物(堀兼農協の)と看做す、と言った残酷な諧謔が感じられ、犯行者の怨念を感させる。 そして被害者宅との関連性をあからさまに示すこの様な物品の存在は、逆に本件が身内犯行では無かった事を、却って最も強烈に示すものである。
出処=不明だが茶の生産地故どこからでも手に入る。 屍臭を防止すると言う効果からは、出来るだけ長く屍体発見を阻止して早期発見を防止と言う意図=営利目的犯が考えそうな事 も推理されていたが、発見を阻止したいのならば、棒や風呂敷を発見され易い芋穴などに投棄しなかったであろうし、そもそも屍体を農道などに埋没しなかったであろう。 従って「早期発見阻止」はそう思わせる為の偽装ではあっても、本来の目的では無かった。
一方、屍臭防止で野犬等が掘返して屍体を損壊する事を防ぐ事により、葬儀などで被害者の屍体を見なければならない身内犯行が伺われる。 つまり茶葉は、営利目的犯が考えそうな屍体発見阻止と、犯行者は身内であると言う事が疑われる事を、同時に偽装したものと見られる。
出処=不明 全長94cm程の棒であるが、屍体運搬用に用いたと見る(事を偽装する)には強度が不足と思われる(イゴの木であった)。穴掘削時の物差との殿岡説はこの点、いまだ説得力を有している。
これを風呂敷と共に芋穴へ投棄した理由は、やはり屍体の早期発見を目論んだと見るのが妥当であろう。当時市内には数百の芋穴があったと見られ、殺害後屍体を遺棄するのには最適な場所である。 そうであればいち早く捜索対象となる事が予想され、ここに屍体埋没の目印となる物体を投棄する効果を考える事は当然であろう。 その様に考えれば、棒と風呂敷の組み合わせが「人」の字をかたどっているとの亀井説もあながち否定は出来無いが、こちらは少し考え過ぎと言うものがあろう。
なお、亀井説の両墓制間連は、現在では明確に否定出来る。 →参照=基礎事実の検討→被害者宅墓所は両墓制ではない
出処=被害者所有物 「雨が降った時使う為に自転車の荷掛に白ビニールで寿とある 風呂敷一枚つけてあったがとられて仕舞って、これもありま せんでした」昭和38年5月3日姉調書、遠藤三警部補録取 47年2月に開示
屍体発見前のこの供述は一応の信憑性があると思われる。この風呂敷が、婚礼を控えたOGの所有物であった可能性も勿論ある。しかしOG所有物であった場合には、限られた数の祝儀贈答者に引当たりをする事により、出処は割れたであろう。もっとも全ての証拠証言が開示されていない現在、この点は不明。
本体が芋穴に投棄され切れ端は足に結わえた細引に結合されていた。本体の方は捩って棒状(縄状)となっており、切断される以前は、細引と共にもう一つの輪を形作っていた。 この用途は、屍体を立て膝で座った時の姿勢にし、両腕で脚を抱え込む様にして腕と脚を縄状風呂敷で緊縛する事により、土葬に於ける「屈葬」の姿勢での埋没を計画していた残滓と思われる。 屈葬とは土葬の際、江戸期迄はこの地域でも通常に行われていた形で、屍体をこの姿勢にして桶状の「竪棺」に収める。屈葬に対し手足を伸ばした姿勢で葬る事を「伸葬」又は「伸展葬」と言う。 また屈葬の際、屍体に石を抱かせて霊を封じると言う風習もあった事から(これを「抱石葬」と言う)玉石は当初からこの目的で用意されていたと思われる。
屈葬を擬し、更に手足を緊縛する事は当然、屍体冒涜=怨念の表現であった。又この様な形で厳重に被害者の身体を縛り上げて監禁していた状態を偽装した。且つ、この屈葬の形であると、埋没時に掘る穴はより小さくて済むと言う実用的なメリットもあった。その為風呂敷を丸めて棒状にし、これを足に付けた細引に結合して風呂敷で手腕を足に固定する仕掛けを事前に用意していた。 荒縄もある事であり、別に風呂敷などを使用しなくても手足を結わえる道具には事欠かないが、敢て風呂敷を使用したのはこれが被害者の所有物だったからである。 この時被差別地域への容疑を誘導する為に手拭(後で後ろ手に使用した)も用意してありこれは手を足に括り付ける時の補強用か、頭に被せる予定であった。 処が殺害後の夜半、埋没の準備をする頃には、この予定を変更せざるを得ない事柄が発生していた=死後硬直。そこでこの計画は放棄され、実際の様になった。風呂敷は不要になったので切断し、屍体を早期に発見させる為に芋穴へ投棄した。それで風呂敷の結合部だけが残った。手は後ろへ廻して差別容疑用の手拭で縛った。この時肩と腕、手首の関節だけは強引に硬直を緩解させられた。
風呂敷(の切れ端)は当初、土葬の場合の埋め方(屈葬)を擬する為に細引に結合しておいた名残りであるから、埋没時点では既にそれ自体の意味を喪失させられており、切れ端の結合された姿だけを見ていたのでは、その意味が不明であったのも当然である。芋穴へ投棄された本体が、絞られて縄状になっていた事の意味と、この本体がまだ切断される前、細引の方に結合されていた姿、細引の輪と風呂敷の輪、この二つの輪がある姿と、この地域で日常の葬法であった屈葬とを結び付ける事により、この風呂敷の本来の用途を想定したものが以上の事柄である。 *追記=なお屈葬の時、縄や晒で死者の躯を縦横十文字に固く縛る事もあ った。これを「後生縄」と言う。
上表で「明示目的」とは、(真)犯人が明示したかった目的、即ち、例えば「屍体冒涜」をし、且つ被害者遺族や警察その他外部に対しても、その様に受け取られる事を望んだとの意味。 「偽装目的」とは、本来の意図を隠し、全く別の意図を偽ったもの、即ち、例えば「営利目的犯」と外部に受け止められる事を望み且つ実際は営利目的犯では無い、と言う意味。
手足を縛り目隠をし、首には逃亡しようとすれば締る様に細引を掛け、その状態で誘拐後1、2日の間監禁しておき、殺害は身代金奪取の失敗により行った。そのまま屍体は農道に穴を掘って遺棄した。犯行者は被差別地域の不良か、被害者近親者(OGを含む)、或いはその共謀。 これが真犯人が描いたストーリー。実際は被害者宅への怨念により被害者を殺害する事と、被害者宅への恫喝と見せしめが目的であった。既に拉致直後に殺害・屍体遺棄をしてしまっていたが「身代金奪取失敗後の殺害」と思わせる事は必須であった。従って佐野屋への登場と逃走も必須であった。 またたんに娘を殺害するに留まらず、埋没した屍体には葬法に捻りを加えた呪術的な仕掛けを施し、残忍な意志を示している。 自らの描いたストーリーを実現する為には、被差別地域を陥れる様々な細工を施し、OGに一定の嫌疑をかけ、更には当の被害者宅血縁者への罠をも用意して二重三重の偽装を施している。その為、今日迄様々な犯人像が提起される結果となっており、またその事自体、捜査を混乱させる為の方策であった。
極めて凶悪な犯罪と言えるだろう。その結果、意図通りに被差別地域の青年であった石川一雄氏が有罪とされ、その冤罪の主張は未だ実現されていない。他方、真犯人が残した痕跡に基づいて、現在でも被害者遺族への嫌疑が絶えない。これも真犯人が被害者宅へ仕掛けた怨念である。石川氏にとっても、被害者宅にとっても、この事件が終わっていないと言う、所以である。 (平成16年6月5日記)